嫌われる勇気を理解しよう6 共同体感覚
嫌われる勇気を理解しよう第6弾です。
今回は共同体感覚について書きます!
前回まで学んだ課題の分離は、いわば対人関係の出発点です。
そしてその対人関係のゴールが
共同体感覚
なのです。
どうやらこの共同体感覚はアドラー心理学の鍵概念らしいです、が、結構意味不明なので噛み砕いて説明します。
共同体感覚とは、
他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること
です。
ぱっと見、もっともらしい事言ってますが、
これ難しいんです。
まず、共同体の最小単位の「私とあなた」(二人)で考えていきます。
まず、(「まず」多いな)
自己中心的な人
ってどんな人でしょう?
暴君?人のペース乱す人?などが浮かぶかもしれませんが、
課題の分離ができていなくて、承認欲求にかられている人
も
超自己中心的です。
一見、人の目を気にしていて、自己中心的には見えませんが、
課題の分離ができていない人は、
他者を気遣っているのではなく、自分にしか関心がないのです。
自分に執着しているのです。
がーん
確かに。
「他者からどう見られているかが気になる」というのは、
他者に関心があるのではなく、
他者に自分がどう見られているかに関心がある。つまり自分にしか関心がない状態です。
そして
共同体感覚の第一歩は
「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えることなのです。
嫌われる勇気という言葉だけ聞くと、
超自己中心的に生きるのか?
って一瞬思うけど、
どうやら全然違うらしいです。
もうちょっと進めます。
いったん、共同体の最少単位の「わたしとあなた」で考えましたが、
共同体の範囲は無限に広がります
わたしとあなた、パートナー、家族、学校、会社、サークル、部活、地域、国家、地球、宇宙、、、
(宇宙?!?!)(゜Д゜;)
私は地球とか宇宙とかまで考えられる器ではないようなので、ちょっと狭めて話します。
例えば家庭で、
「私はこんなに我慢してるのに」
「なんでわかってくれないの」
とか思ってるうちは、課題の分離ができてないです。
家族を想っている風の自己中心的な状態です。
そのとき、
自分はこの家族(共同体)の中心だ(世界の中心だ)
くらいに思っちゃってます。
(まじで)
確かに人は主観的な生き物です、主観で捉えていいのです、
自分の課題であれば。
でも
「主観的=世界の中心は自分」ではないです!
ここで共同体感覚的には、
私は共同体の一部である
と考えるのです。
そして
その共同体に「貢献」できてこそ、その共同体に所属していると思えるのです。
上の家庭の例でも、
「私はこんなに我慢してるのに」
じゃないのです。
家族は仲間なのです。
我慢なんて、ちゃんちゃらおかしいのです。
あなたは貢献しているのです。
そして他の家族もまた、貢献しているのです。
ここでその
「貢献」とは、「共同体の他のメンバーに承認されている」とは違います!
貢献していると自分が思えば貢献しているのです。
貢献しているこ自分で思えているので、「承認される」必要なんてない!のです。
「なんでわかってくれないの?!」
じゃないのです。
もう貢献してるのです、他者の承認なんて求めなくていいんです。
居場所はあるのです。
共同体感覚を1記事で書くのは難しいので、続きます。
この「貢献」がキーになっていきます。