愛するということ(母性愛について)
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んでいます。
大切な人に薦められた本です。
印象的なところ。
母性愛
母性愛には「乳」と「蜜」がある。
「乳」は世話と肯定の象徴。
「蜜」は人生の甘美さ、人生への愛や生きていくことの幸福の象徴。
多くの母親は乳を与えることはできるが、
蜜を与えられる人は少数。
蜜を与えるには「単なる良い母」ではダメで、幸福な人間でなければならない。
乳だけを与えられた者と、乳と蜜を与えられた者には圧倒的な差がある。
なんかジーンと来ました。
なんか私は蜜を求めて生きてるのかもなー。
蜜不足。
蜜を与えられる人になりたい。
そのためには自分を蜜で満たさないといけない気がする。
循環を意識する(育児編)
子供が生まれて超幸せでした。
一歳半くらいまでは、本当に手が掛からない子でした。(今もいい子だけど)
私の手作り離乳食も残さず食べてくれるし、育児が本当に楽しかったです。
でも2歳くらいから自我が芽生え、まず私が作ったご飯を残したりぐちゃぐちゃにして遊んだりするようになりました。
イヤイヤも増えました。
洋服も好き嫌いが出てきました。
それも成長だし嬉しいんです。
嬉しいはずなのですが、私の心の中にはゴミがいっぱい溜まってきました。
子供が一歳半過ぎになってから、前職は辞めて、パートになりました。
正直、仕事の方が楽で楽しかったです。
感謝されるし、終わりがあるし。
育児はなんか、子供のことは好きなのに、しんどかった。
子供が泣くのを聞くのも辛かった。発狂しそうだった。
でも怒っちゃいけないって飲み込んだ。
そしてゴミがどんどん溜まった。
育児と両立するために週3パートにしたけどもう週5で働いた方が楽なのではと思っていた。
そんなこんなでしたが、今年の4月くらいに心のゴミが許容オーバーとなり、めでたくぶっ壊れました笑。
今の考えを書きます。
私は家庭内で(私と息子、私と夫、三人)感情とか欲とか循環させないといけないって思ってました。
子供にイライラしてはいけない、育児は幸せなんだから、育児してることで満たされないといけない、って思ってました。
でも、無理だなー笑!ってわかりました。
子供が料理ぐちゃぐちゃにしたら、そりゃムカつくだろー笑。
今は割りと上手に育児で満たされない気持ちは外で発散や充電してます。
家庭の外の世界も含めて、上手く循環していけたらいいなって思ってます。
最近子供にイライラはするけどゴミは溜まらない。
昨日もトイレの後なかなかパンツをはいてくれず、フルチンでバタバタしてましたが、
ギューっとしました。
子供かわいいって思わないと損。
だってかわいいんだもん。
子供はやっぱりかわいい
子供がいるから飲み会早退。
もっといたかった気もする。
でも子供の顔見て、
子供に
「ママ会いたかったー!」って言われて、
うれしくなる。
今日のモヤモヤ
母が子供にカップラーメンを買った。
食べさせたくないけど、子供が食べたいと言ったのであげた。
自分も少し食べた。味は美味しいけど、食べたくなかったかも。
勝手に予定を入れられそうになる。
子供がポカリ飲みたいというからペットボトル渡した。
飲めるはずなのにテーブルの上にぶちまけた。
怒った。
子供は泣いた。
親に頼むのをためらう自分
子供を預ける時間を延長して欲しいのに、まだ言えてない
子供の欲望剥き出し感に感心する
これ食べたい、もっと遊びたい、これ邪魔だどけろ、(人が寝込んでるのに)目を開けろなど
これでもかと欲望を伝えてくる息子。
これ言ったら嫌われるとかみじんも思ってないんだろうな。