35歳になる準備

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嫌われる勇気を理解しよう6 共同体感覚

嫌われる勇気を理解しよう第6弾です。

今回は共同体感覚について書きます!

 

前回まで学んだ課題の分離は、いわば対人関係の出発点です。

そしてその対人関係のゴールが

共同体感覚

なのです。

 

どうやらこの共同体感覚はアドラー心理学の鍵概念らしいです、が、結構意味不明なので噛み砕いて説明します。

 

共同体感覚とは、

他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

です。

ぱっと見、もっともらしい事言ってますが、 

これ難しいんです。

 

まず、共同体の最小単位の「私とあなた」(二人)で考えていきます。

 

 

まず、(「まず」多いな)

自己中心的な人

ってどんな人でしょう?

 

暴君?人のペース乱す人?などが浮かぶかもしれませんが、

 

課題の分離ができていなくて、承認欲求にかられている人

超自己中心的です。

 

一見、人の目を気にしていて、自己中心的には見えませんが、

課題の分離ができていない人は、

 

他者を気遣っているのではなく、自分にしか関心がないのです。

自分に執着しているのです。

 

 

がーん

 

 

確かに。

「他者からどう見られているかが気になる」というのは、

他者に関心があるのではなく、

他者に自分がどう見られているかに関心がある。つまり自分にしか関心がない状態です。

 

 

そして

共同体感覚の第一歩は

 

「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えることなのです。

 

嫌われる勇気という言葉だけ聞くと、

超自己中心的に生きるのか?

って一瞬思うけど、

どうやら全然違うらしいです。

 

 

もうちょっと進めます。

 

いったん、共同体の最少単位の「わたしとあなた」で考えましたが、

 

共同体の範囲は無限に広がります

わたしとあなた、パートナー、家族、学校、会社、サークル、部活、地域、国家、地球、宇宙、、、

 

(宇宙?!?!)(゜Д゜;)

 

私は地球とか宇宙とかまで考えられる器ではないようなので、ちょっと狭めて話します。

 

例えば家庭で、

「私はこんなに我慢してるのに」

「なんでわかってくれないの」

 とか思ってるうちは、課題の分離ができてないです。

家族を想っている風の自己中心的な状態です。

 

そのとき、

自分はこの家族(共同体)の中心だ(世界の中心だ)

くらいに思っちゃってます。

(まじで)

 

 

確かに人は主観的な生き物です、主観で捉えていいのです、

自分の課題であれば。

 

でも

 

「主観的=世界の中心は自分」ではないです!

 

ここで共同体感覚的には、

私は共同体の一部である

と考えるのです。

 

そして

 

その共同体に「貢献」できてこそ、その共同体に所属していると思えるのです。

 

上の家庭の例でも、

「私はこんなに我慢してるのに」

じゃないのです。

 

家族は仲間なのです。

我慢なんて、ちゃんちゃらおかしいのです。 

あなたは貢献しているのです。

そして他の家族もまた、貢献しているのです。

 

 

ここでその

「貢献」とは、「共同体の他のメンバーに承認されている」とは違います!

 

貢献していると自分が思えば貢献しているのです。

 

貢献しているこ自分で思えているので、「承認される」必要なんてない!のです。

 

 

「なんでわかってくれないの?!」

じゃないのです。

 

もう貢献してるのです、他者の承認なんて求めなくていいんです。

 

居場所はあるのです。

 

 

共同体感覚を1記事で書くのは難しいので、続きます。

この「貢献」がキーになっていきます。