35歳になる準備

仕事、育児、美容、ファッション、生きてく中で学んだこと・感じたことをポチポチ書きためていきます

これも食育か?息子がめしばな刑事タチバナさんに大喜び


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アマゾンプライムのどうでもいい系ドラマが好き。

なのでよく見ます。

最近見て息子受けがよかったのが

めしばな刑事 タチバナ

です。

警察署に勤める刑事さん達が各々のソウルフードを語りながらついでに事件を解決するお話。

 

中華チェーン店、袋麺、レトルトカレー、うどん、蕎麦、牛丼などのテーマが毎回設定されていて、おじさん達が暑苦しく自分の押しを語ります。

 

 

なんか見ちゃう系です。

 

カレーマルシェとボンカレーどっちがいいか

 

とか

 

牛丼のトッピングは無塩バターと卵とニンニク

 

とか

 

昔の立ち食いそばのふわふわ感がいい

 

とか

 

ただただどうでもいい話が続きます。

 

 

が、

 

これを見て3歳の息子が

 

「これ食べたい!」

 

超反応します。。。

 

 

そう言えば牛丼やうどんチェーン店に連れて行ったことないです。

 

中学生にでもなれば自分のお小遣いでも食べに行けそうなところだけど、

今度家族で行ってみようかなと思いました。

 

 

 

Eカップはつくれる 産後の育乳事情

私が以前勤めていた会社では、社員の体系管理もしていて、(システム系企業なのに)BMI([体重(kg)]÷[身長(m)の2乗]で計算される肥満度を表す数値)が25を超えた社員は別室に呼び出され説教されるという、今考えると爆笑必至のイベントがあった。

 

そのため、中年太り男子社員は自分の体重という個人情報が会社に流出する健康診断前は焦ってダイエットをするというのが1つの名物であった。

 

その時期に1人の中年太り男子社員が、「BMIを下げるには、痩せるより身長を伸ばした方が数式的には効率が良い、かかとにシリコンでも埋め込もうか」というこれまた本末転倒的な爆笑発言をしていた。

会社としては体系を清潔感あるスレンダーに保って欲しいのだ。かかとにシリコンが入った、BMI25すれすれの中年太り男子社員が欲しいのではない。

 

私は当時、彼の発言を笑った。

しかし今、彼と同じことを考えている。

 

 

そう、ブラジャーのサイズの話だ。

 

私は気が付けば貧乳だった。

 

そもそも幼少期はみな胸なんぞない。

早い子で小学校3,4年生くらいから徐々に発育が進む。

 

私は発育が遅いのだと思っていた。

 

そして二十歳になった。

 

そして発育が終わっていたと気付いた。

 

 

結婚前までは仕事が忙しすぎて、自分が貧乳であることも忘れていた。

(そういう意味では、忙しいとは幸せなことかもしれない)

 

そして結婚して、子供を授かり、産んだ。

 

そこでまさかの体験をした。

 

母乳育児のために母親は巨乳化するのである。

 

 

発育や、これが発育や。

 

(まぁ、産後、巨乳をのんびり楽しんでいる暇はない。あくまでも息子の栄養だ。うっかりすると乳が詰まってカチコチ乳になることもある、乳首から出血することもある、あくまでも育児のためのものだ)

 

そして授乳期間は終わった。

 

「あーやっと終わった」

とほっと息をついた。

そして、乳は消失していた。

 

ただの消失ではない。

 

 

 老婆の乳になっていた

 

 
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 (やりきった、、、、死 みたいな乳だった)

 

 

そこで始まるのは、

 

産後で体系くずれちゃってー

 

という

 

あたかも産前はスタイル良かったかのように聞こえる非常に都合の良い言い訳である。

 

(そもそも産前は発育すらしていなかったのに)

 

前置きが長すぎた。

 

言い訳に飽きた私は育乳ブラに手を出した。

 

なんとB70からE65へと3カップアップを果たした。

 

 


 

 

 

Eカップというと、巨乳だと思うかもしれない。

 

しかし、ブラジャーのサイズはあくまでも

アンダー(胸の下)とトップ(乳首)の差である。

 

そう、BMIの「数式的には痩せるより身長伸ばした方が効率が良い」と言ったかかとシリコン男子(当時45歳)と同じように、

 

ブラのサイズ上げるにはボリュームアップよりも、アンダーのサイズ下げた方が効率が良い

 

と私は気付いた。

 

今私はのうのうとEカップのブラを装着して生きているが(なんならFカップも狙えると思う)、ボリューム的イメージ的にはCカップ程度である。

 

なのでリアルの世界でEカップを装着しているとは言わない。

 

でも、上の育乳ブラ、なかなか背中の肉をかき集めてくれて良い。

 

雑談終わり。

 

 

 

 

 

なんで子供産んだの?なんで結婚したの?と聞かれてしまう自分

「なんでそんなんで子供産んだの?」

「なんで結婚したの?」

と、よく言われてしまいます。

 

よく言われてしまいますが、言われると傷付きます。

(非常にどうでもいいですが、エステに言ったら左鼻の鼻水が止まらない)

 

 

 

私は息子を愛している、と思っています。

でも人に、

「無関心すぎる」と怒られたりします。

 

 

私は毎回「?????」という感じで、反論もできず。

 

 

私が産後、仕事を再開したきっかけは、

子供の公園デビューです。

 

今年が公園の砂場でひたすら砂をスコップですくっては落とす、すくっては落とす、という姿を延々と見ていました。

 

その時に、

 

これは、だめだ、

子供の公園遊びは外部委託して、働こう

 

と思いました。

砂場遊びに限らず、子供の公園遊び、習い事の付き添いが苦手です。

 

「子供の成長が見たくないのか?」

と言われてしまうこともあるのですが、

どうしてもつまらないのです。

「2週間に1回くらいで良くない?」(いやむしろ月1くらい)

と思います。

 

 

息子がスイミングスクールで何クラスに受かろうが、落ちようが、どうでもいい。

(楽しそうならいいんじゃない?まだ3歳だし。競い合う楽しみ分かってきたら勝手に練習するでしょ。挫折して辞めたら辞めたでそれも良い経験でしょ。)

 

数字が10まで言えようが、言えなかろうが、どうでもいい。

(いつか言えるでしょ、10くらいは。)

 

 

この話をすると、たまに叩かれる(え、あり得ない的な反応をうける)のですが、

こんな思考回路なんだなって最近は開き直ってます。

 

一方で、私は息子を自由に育てたいな、という思いが強いです。

自分の中では超良い母ポイントですが、あまり評価されません。

 

子供が何かやりたいと言ったら自由にさせたい。

 

基本的に、

 

自殺とドラッグ以外はオッケーカモンです。

 

良い母親だと思うんだけどなー笑。

 

放任主義じゃん、無関心すぎるじゃん、子供寂しがってるよ、とか言われちゃうけど。

 


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※息子が私に摘んできてくれた花

 

 

嫌われる勇気を理解しよう6 共同体感覚

嫌われる勇気を理解しよう第6弾です。

今回は共同体感覚について書きます!

 

前回まで学んだ課題の分離は、いわば対人関係の出発点です。

そしてその対人関係のゴールが

共同体感覚

なのです。

 

どうやらこの共同体感覚はアドラー心理学の鍵概念らしいです、が、結構意味不明なので噛み砕いて説明します。

 

共同体感覚とは、

他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

です。

ぱっと見、もっともらしい事言ってますが、 

これ難しいんです。

 

まず、共同体の最小単位の「私とあなた」(二人)で考えていきます。

 

 

まず、(「まず」多いな)

自己中心的な人

ってどんな人でしょう?

 

暴君?人のペース乱す人?などが浮かぶかもしれませんが、

 

課題の分離ができていなくて、承認欲求にかられている人

超自己中心的です。

 

一見、人の目を気にしていて、自己中心的には見えませんが、

課題の分離ができていない人は、

 

他者を気遣っているのではなく、自分にしか関心がないのです。

自分に執着しているのです。

 

 

がーん

 

 

確かに。

「他者からどう見られているかが気になる」というのは、

他者に関心があるのではなく、

他者に自分がどう見られているかに関心がある。つまり自分にしか関心がない状態です。

 

 

そして

共同体感覚の第一歩は

 

「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えることなのです。

 

嫌われる勇気という言葉だけ聞くと、

超自己中心的に生きるのか?

って一瞬思うけど、

どうやら全然違うらしいです。

 

 

もうちょっと進めます。

 

いったん、共同体の最少単位の「わたしとあなた」で考えましたが、

 

共同体の範囲は無限に広がります

わたしとあなた、パートナー、家族、学校、会社、サークル、部活、地域、国家、地球、宇宙、、、

 

(宇宙?!?!)(゜Д゜;)

 

私は地球とか宇宙とかまで考えられる器ではないようなので、ちょっと狭めて話します。

 

例えば家庭で、

「私はこんなに我慢してるのに」

「なんでわかってくれないの」

 とか思ってるうちは、課題の分離ができてないです。

家族を想っている風の自己中心的な状態です。

 

そのとき、

自分はこの家族(共同体)の中心だ(世界の中心だ)

くらいに思っちゃってます。

(まじで)

 

 

確かに人は主観的な生き物です、主観で捉えていいのです、

自分の課題であれば。

 

でも

 

「主観的=世界の中心は自分」ではないです!

 

ここで共同体感覚的には、

私は共同体の一部である

と考えるのです。

 

そして

 

その共同体に「貢献」できてこそ、その共同体に所属していると思えるのです。

 

上の家庭の例でも、

「私はこんなに我慢してるのに」

じゃないのです。

 

家族は仲間なのです。

我慢なんて、ちゃんちゃらおかしいのです。 

あなたは貢献しているのです。

そして他の家族もまた、貢献しているのです。

 

 

ここでその

「貢献」とは、「共同体の他のメンバーに承認されている」とは違います!

 

貢献していると自分が思えば貢献しているのです。

 

貢献しているこ自分で思えているので、「承認される」必要なんてない!のです。

 

 

「なんでわかってくれないの?!」

じゃないのです。

 

もう貢献してるのです、他者の承認なんて求めなくていいんです。

 

居場所はあるのです。

 

 

共同体感覚を1記事で書くのは難しいので、続きます。

この「貢献」がキーになっていきます。

 

 

 

 

 

みどりさんのファッションコンサルを受けるぜ!私は華奢で幸薄儚げ人妻、時に株価急騰系になりたい!

突然ですがみどりさんのファッションコンサルを受けます!

midori32.hatenablog.com

 

受ける前に自分の理想?こんなのを目指したい?みたいなのを書きます!

2点です。

1.シルエット華奢

2.幸薄儚げ人妻、だが、たまに株価急騰!

です。

 

意味不明だと思うので(特に2が)説明したいと思います。

 

 

1.シルエット華奢

私は華奢に見られたい。ただそれだけ。

そんな「華奢」を目指す私のカラダ事情について説明したいと思います。

 

私は

・骨格診断:ウェーブ(多分)

・パーソナルカラー:サマー(多分)

・下半身デブ(太股太め)

・顔大きめ(面長)

・バストこじんまり(貧乳なんて言わない)

です。

 

 

一見、欠点しかないように見えますが、

勝機はあります!!

私の勝負服たちです!

 
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バストはこじんまりですが、

その分上半身が華奢です。

 

脚は太いですが

太股さえ隠せば痩せて見えます。

つまり、

上半身コンパクト

タイトすぎないスカート

を合わせれば、体系の悩みは抹殺できます。

 

※面長、顔大きめ問題は髪型とトップスでカバーです。

※それでも本人的には自分の顎周りがコンプレックスで、230万の手術もしてます。

口腔外科手術 私がやった骨切り手術とは - 35歳になる準備 

※手術したのにまだ気になります爆!

 

とにかく私は

華奢に見えること

を第一優先に考えて服を選びます。

 

現在順調に体重を増加させているさなか、それでも果敢に華奢に見せる努力をしています。(痩せろよ)

つまり華奢なシルエットでコーディネートしたいのです。

 

みどりさんよろしく。

 

 

2.幸薄儚げ人妻、だが、たまに株価急騰!

 

これはつまり、

一見地味で幸薄そうでちょっと儚げな人妻

だが、たまに華やかな服を着ると

「え?!よく見ると美人?!」と株価急騰する

 

そしてそのギャップも萌える!!!

ということです。

 

 

は?

 

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、当人は至って真面目であります( ・_・)

 

例えば私が敬愛する壇蜜さん。


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(画像はお借りしました。)

 

壇蜜さんって、

ハワイとか青い海、ではなく

 

古びたアパート

とか

苔が生えてるブロック塀のかげ

とか

薄汚れた風呂場

とか、

例え海でも

暗いちょっと荒れた海

とかの撮影が多いと思います。

 

そう、、ちょっと暗い?控えめ?なのです。

 

でもそこが萌えるのです。

服もシンプル(シンプルだけどノーブラだったりする)で、派手さがないものが多いです。

 

でも壇蜜さんはドレスとか着ると超超超素敵です!!!

 
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そう、

そのギャップです。

 

そして肝心な私ですが、

 

幸薄儚げ人妻感はまぁまぁ出せそうな感じ。

 

性格をご存知の方は理解に苦しむと思いますが、

初見の人で、かつ私が黙っていたとき、

儚げな感じ

と言われたことがあります。

 

(たった1人ですが)

 

話を戻します。

幸薄儚げ人妻感は出せそうです。

 

しかし

 

 

華やかさに欠ける!


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ギャップがまだまだ足りない!!

 (色もグレー、ブルー、ホワイトばっかり)

そう、

もっと株価急騰したいのです!!

しかも

そんなパーティーとか行かないので、

 

通常稼働モード で株価急騰系の格好

 

が欲しいのです。

 

ということで、

 

みどりさん、よろしくお願いします。

 

まぁ、そもそも

 

盛大な勘違いをしていると思ったら、そこもご指摘頂ければな、と思います。

 

以上です。

 

 

 

 

 

嫌われる勇気を理解しよう5 自由とは何か

嫌われる勇気を理解しようの第5弾です!

今回のテーマは自由!

 

自由とは何か、、、

 

ずばりそれは、

他者から嫌われること

です。

 

え?どーゆーこと?って感じだと思うので説明します。

 

人間は本能的に「他者から嫌われたくない」と思います。これは普通のことです。

しかし、

 

他者から嫌われない、ということは、他者から承認され続けるということです。

 

課題の分離の記事でも書きましたが、

他者が自分を承認するかどうかは「他者の課題」であり、コントロールできません。

コントロールしようとした段階で、人間関係はおかしくなります。

 

 「他者から承認されたい」って、一見健気な感じですが、

それは

他者をコントロールしたい

と言っているのと同じです。

 

それと同時に

とても不自由な状態

です。

 

他者から承認されないかもしれない、

というコストを支払わない限り、自由にはなれないのです。

 

厳しい。けど、合ってる。

 

つまり、

自由とは他者から嫌われること

なのです。

 

 

 

ここで、勘違いしてはいけないのは、

嫌われる→独善的に振る舞う、悪行を働く

ではありません。

 

ただ、課題を分離するのです。

 

 自分のことをよく思わない人がいても、それは自分の課題ではない。

それはその人の課題。

 

あなたは、その人が大好きかもしれない、とてもその人のことを想っているかもしれない。

でも、だからと言って、

「自分のことを好きになるべきだ、自分があなたのことをこんなにも考えているということを理解すべきだ」

とその人に求めることは、他者の課題に土足で踏み込んでいるということです。

見返りを求めた行動です。

 

 

そして、

対人関係のカードは自分が持っていることに気付きましょう。

 

例えば、誰かとの関係修復にあたって、

 

◯◯されたから、◯◯と言われたから、あの人との関係が悪い、だから関係修復できない

 

という原因論の考え方では、いつまでも対人関係のカードは他者の手の中です。(正確にはその他者もカード持ってないんだけどね)

 

でも、相手との関係を悪くしたいから、過去にされたことを持ち出していると捉えられれば、関係修復のカードは自分が握っていることになります。

 

↑そんな屁理屈やんって想うかもしれませんが、この決心が大切なのです。

 

関係修復の決心をする、そのカードは自分が持っていると捉えること、

相手の反応は

は全く関係がないのです。

 

相手が示す反応は、全て相手の課題です。

 

相手は拒絶するかもしれない、関係修復の意思がないかもしれない、

でも関係ないです。

 

自分がただ決心すれば、自分が変わるのです。

それに伴って相手が変わることもあるし、変わらないこともある。

それは相手の自由です。

 

 

対人関係というと、「大勢との関係」や「2人との関係」などをイメージしてしまいますが、

まずは自分なのです。

承認欲求に縛られていると、いつまでも対人関係のカードは他者の手の中です。

 

続きます。

 

 

 

 

嫌われる勇気を理解しよう4 課題の分離

嫌われる勇気を理解しよう第4弾です。

今回は「課題の分離」について書きます。

※ちなみにこの課題の分離なしには、前回の「愛のタスク」は達成できません。多分。

 

まず、私たちは

他者の希望を満たすために生きているのではない

です。それと同時に

他者は自分の希望を満たすために生きているのではない

です。

 

アドラー心理学では、目の前の課題(ex.勉強するしない、就職するしない、結婚するしない...)に対して、

これは誰の課題なのか?

を考えます。

誰の?とは

その選択(勉強するしない、就職するしない、どこに就職する、結婚するしない、誰と結婚する...)によってもたらされる結末を最終的に引き受ける人は誰か?です。

 

 

例えば、

 

子供が勉強しない、で、ゲームをするという選択をすることは

子供の課題であり、親の課題ではない

 

子供が結婚するかどうか、誰と結婚するかは

子供の課題であり、親の課題ではない

 

旦那が仕事を辞めるかどうか、は

旦那の課題であり、妻や旦那の親の課題ではない

 

 

ちょっと色んな角度から語ってみると、

「子供が親の望む職に就かなかった、親は反対した」という事実があったとして

子供がどの仕事に就くかは子供の課題

そしてそれに対して、

親が子供の仕事に不満、というのは親の課題

です。

 

親は子供の課題(どの仕事に就くか)に土足で踏み込めない。しかし、不満を持つのは自分の課題なので、不満に思おうが自由。

 

子供はどの仕事に就くか自分で決めて良い、自分の課題なのだから。でもそれに対して親が反対することは仕方ない、それは親の課題だから。

 

他者をコントロールしようとすること

課題の分離ができていない状態

そして

他者の課題に土足で踏み込む

自分の課題に土足で踏み込まれるとき

に対人関係の問題が起こるのです。

 

特に親子、夫婦、恋人など「愛のタスク」の関係、つまり深い人間関係になるほど、課題の分離は難しいです。

しかし、

関係が深いからこそ、課題の分離が不可欠なのです。

 

課題の分離というと、「人は人、私は私、人のことなんか知ーらない!」みたいな放任主義のように聞こえるかもしれませんが、

 

課題の分離と放任主義は違います!

 

課題の分離は、その人に無関心の状態ではありません。

 

例えば、子供が勉強しないという事態があったとします。

子供が勉強しないことは、子供の選択であり、子供の課題です。

親としては、それは子供の課題であることを伝える、変に干渉しない。でも子供が勉強したい、勉強でなくても何か助けが欲しいというときは、いつでも援助する用意があることを伝える。

これが課題の分離です。

 

信じるという行為は課題の分離です。

 

相手のことを信じることは自分の課題。
自分の期待や信頼に対して、相手がどう振る舞うかは相手の課題。


相手が自分の希望通りに動いてくれなくても、なお、信じることができるか、愛することができるか。

 

これが愛のタスク。

 

愛って深い。。。

 

課題の分離は難しいけど、これができて初めて人を愛せる気がします。